人生が線路のようなものだとしたら、自分と全く同じ高さで、同じ角度で、その線路を見つめてくれる人はもういない。

 

生きていくことって、きっと、自分の線路を一緒に見てくれる人数が変わっていくこと。

 

今までは一緒に暮らす家族がいて、同じ学校に進む友達がいて、学校には先生がいて。常に、自分以外に、自分の人生を一緒に考えてくれる人がいた。学校を卒業するって言っても、家族や先生がその先の進路を一緒に考えてくれた。いつだって、自分と全く同じ高さ、角度で、この先の人生の線路を見てくれるひとがいた。

 

自分以外の人と一緒に見てきた自分の人生を、自分ひとりで見つめるようになって、やがてまた誰かと一緒に見つめる日が来る。そしてそのころには、その大切な誰かの線路を一緒に見つめてるんだよ。