2019-02-16
永遠はありえない。わかってたいたとしてもしんどいものがある。
賢いふりをしても意味などない。賢く思われたい。でも同時に笑ってもらいたい。ようは見てもらいたいのだ。なかなかにして幼稚である。そして幼稚などという言葉を使って悦に浸ろうとしている自分が居ることも言うまでもない。
幼少の頃より自分を出すのが苦手なのかもしれない。言ったところで理解されないのかも知れないと思っているからだ。表層的には合理主義を謳っているが、その実は理解されないのが怖いだけなのだ。
等身大の自分を受け入れるのは何とも嫌なものだ。自分の外見を姿見の鏡で見ることすら嫌なのだから仕方ないのかもしれない。
人一倍自分の事が嫌いでそのクセ、自分の事が一番大事なのだ。歪な自己愛である。グロテスクだ。